創立50周年 すばらしき本渡青果事業協同組合
昭和32年3月5日に創立し、先人の大いなる力、また多くの皆様方のご指導、ご支援、ご協力のお陰様をもちまして、創立50周年という記念すべき年を迎えることができました。
厚くお礼申しあげます。
顧みれば、時の流れと共に市場の取り巻く環境が、時折変わってきてはいますが、どの時期においても共同の力でじきじきの問題を解決してきました。
現在が大変な時期ではなく、先人たちからみれば以前がまだ大変だったといわれるかもしれません。
現実の苦難に嘆くことなく、ステップアップの為の試練だと思えば、苦労もまた楽しい出来事かもしれません。
私達の市場においては大いなる力(協同組合)が支えています。
一致団結、共に楽しい未来を築いていきましょう。
本渡青果事業協同組合理事長 濱 三千秀
共栄神社
沿革 完成前の大矢崎埋立地
セリ風景
10周年記念事業
50周年記念式典
組合の沿革
設立までの経緯
1.当時の状況
昭和30年頃鳥取地方に於て誕生した生協は、全国的に叢出して小売業界を風靡し、当地本渡市に於ても生協誕生の兆あり、商工会議所を主体としてその阻止運動が展開されつつあった。
当時、本渡における青果小売業者は約百名、弱小業者がひしめき漸く戦後の混乱期を脱却して商戦に突入しつつあった。
又青果卸市場は苓州青果(後天草青果)、○協青果(松原氏)、第一青果(小西・有馬氏)の三市場があり、各々未だ経営規模弱少の揺籠期であった。
茲に於て生協誕生と共に其の旋風を真正面に受ける青果小売業者が其の商権を擁護し、経営を維持発展させる為には、
先づ青果卸売市場を合同して、大荷受機関となす必要ありと会議所富田会頭、平山、菅原両氏等の積極的なる勧奨により、
当時の本渡青果商組合(任意組合)の役員が其の推進員となって、三社合同を図ったのである。
其の間、種々の紆余曲折を経たるも其の合同は意の如く進展せず、茲に於いて我等業者自ら協同組合を組織して、
自らの手に於いて市場を経営し、自己防衛と発展とを図るべしとの結論に達し、本渡青果事業協同組合を設立する事になった。
そして別記の如き趣意書を業者に配布してその参加を求めた。
此の設立に当っては商工会議所を初め、故平山嘉平氏、菅原福蔵氏等の昼夜を分たぬ積極的な御尽力を得た。
又当時、県商工課団体係長木村氏の御懇篤なる御指導を得たのである。
2.設立
本渡青果事業協同組合は、当時営業中の第一青果を買収し、其の営業機構を其のまま断承続行し、又○青果は近い時期に於て合流する事に内定して直に営業を開始した。
3.場所
本渡市港町無番地中央館裏の空地(現渋谷歯科隣)約50坪足らずの地で木造バラックの建物、事務所は平山蒲鉾店の一隅を借用し、細々とした発足であったが、役員一同悲壮なる覚悟を以て前進を開始した。